あなたと私はここにいる~A-live connect卜沢彩子のブログ

A-llive connect卜沢の思うこと、伝えたいことなど書き綴ります

サバイバーとして

サバイバーとして表立って活動されている方々を見ていると、本当に私は未熟なんだと実感します。
承認制にしてるけど、酷いコメントを投げつけられることもあるし酷いメッセージを送りつけられることだってあります。
mixiのコミュニティだって承認するときにプロフィールを見て、明らかに被害者の経験を性的に楽しみたくて申請してくる人がいます。
明確な悪意や欲望にたくさん出会います。
まだ被害者であるということを語ることはそんなに簡単なことではありませんでした。
私はあまりスタンダードなサバイバーではないのかもしれません。
かなり人に恵まれていますし、性格も万人受けするような性格じゃないことを自覚しています。
だからこそ私が表に出るほど
「あなたと同じだなんて思われたくない」
と言われることも多いのです。
私みたいな人間が表に出ていいのだろうかと何度問いかけたかわかりません。
また痴漢イコール冤罪や自意識過剰という認識など本当に世間のハードルの高さも実感するのです。
だからこそ、苦しくなって頑張ろうとしても怯え、何度か全く動けなくなりました。

でも私はサバイバーの前に卜沢彩子です。
私がたくさん被害にあってきたことを知っているので気を遣ってまわりは言わないでいてくれてますが、実際は性的なものにはわりと寛容な方だと思いますし、それに私だってSEXしますよ。男性的な目線も大切にしたいし、加害者の理解も大切だと思っています。
スタンダードな被害者というイメージに全くそぐわない、でもだからこそできることがあると思っています。
ただ、被害にあっても色んな人間がいるってくらいの捉え方をしてもらえたらいいなと思うんです。
また傷を叫ぶだけの弱い自分ではいたくないし、それでは暗く、目を背けたくなるだけだと思います。
最近はフェミニズム反対運動などもあり、
被害にあったことを主張したりすることは、カッコ悪く、可哀想と思われたいのか、かまってちゃんだと思われがちで
被害にあったとしても言わないで気にしてない強い自分
のほうがかっこいいという風潮がある気がしています。
確かにただ被害の悲惨さを叫ぶだけでは人に伝わらないと思っています。
それを否定するつもりはないしむしろ無理をし続けることなく自分の中で消化できそう振る舞い続けられる人は強いと思います。
苦しいのに無理に公表する必要もないと思っています。
でも全員が隠していたら何も変えられないと思います。

だからやっぱり声をあげる人は必要なんだと。
そして、最近サバイバーの方々で凄いと思っているのはサバイバルサロンぷれぜんとの方々。
あの方々は、明るいんです。暖かいんです。
被害者だって明るく楽しく生きていいんだって伝えてくれる。
本当に素敵だと思うんです。
そこまで受けいられることは強くて眩しい。
フラッシュバックが再開するたびに折れて逃げる自分の弱さを実感します。
以前私が平気だったのは自分が悪くないと信じきっていた無知からでした。
これだけ恵まれていることに本当に意味で気付かずに限界まで人を傷つけていながら自分が苦しいことしか考えていなかった幼さを知ったのです。
私が被害で心を壊してどれだけの人に迷惑かけたか、苦しめたかを考えてなかったことに気づいてから
私は罪悪感に取り憑かれひたすらに自分を責めるようになり発信ができなくなりました。
何度も向き合うことから逃げたり、無理して迷惑かけたり、
苦しそうに必死に前をなんとか向こうとしてる私を見るよりずっと受け入れやすいんだろうなと。
そういう人たちを見ていると、
私がやる必要ってあるのかなって思ったりしてまた悩んで。
とにかく悩んで、悩んで悩んで。
私がやりたいことはセカンドレイプを無くすこと、教育にもっと性被害のことを取り入れること。
目下は特に大学の一般教養なんかでタバコの害をやるのと同じように性被害についても講義を受けるのが当たり前になること。
本当はもっと前からが望ましいけれど。
ファッションショーもモデルとして出させていただきますが、私が伝えたいことはクラウドファンディングのページのTOP通り。
私は強くないから、折れる、何度も折れて停滞して、失敗して。
それでも前に進みたいから。
悲しんでいるだけでなく、苦しんでいるだけでなく立ち上がる力は絶対にあるんだと伝えたい。
だからこのファッションショーはとても意義があることだと思っています。
中野さんやたくさんの人が創り上げてくれています。

今しっかりと矢面に立って伝えているみなさんより消化しきれてなくてずっと未熟だけど。
そしたら私は弱くても何度折れても立ち直るそういう過程を見せられる人であれたらいいのかなと思っています。

無理をするのでなく、少しずつ。

そして、私はサバイバーとしてだけ生きることはできません。
私は卜沢彩子だから、サバイバーはあくまで私の一面です。
だから私はちゃんとそれだけでなく自分の納得できる生き方をちゃんと見つけたいのです。
むしろ本当に私が生きる道を見つけて歩めるようになってからこそが私は「被害者」ではなく本当の意味でのサバイバーになれる気がするのです。